日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「手続き」の暴走

ストレステストやって当面安全ということになっても何も変わらないと思う。「原子力をコントロールできるか」という話は、そろそろ技術とか安全性じゃなくなっていく気がする。その「手続き」の暴走をまったくコントロールできない。

原子力の技術は戦争のために生まれて、とにかく手軽ですごい破壊力があった。アメリカに売りつけられたのか、石油が無くなるからと100年後を見越した「英断」だったのか日本でも作りまくった。人を狂わせるくらい魅力的すぎた。原発は平和利用だとも言うし「核兵器の維持のために原発を建てた」という話も聞く。効率はめちゃ良いけど1万年面倒みないといけない。それって効率いいの?

経済成長してた40年間は、大きな事故無くもったので元はとれたかも知れない。地震地帯に建てすぎだけど、資源のない日本に原発を持ちこんだ人は「英断」を下したと思う(フクシマ後は誰も言えないので代わりに言っとく)。

原発運営は沖縄の基地に似ている。沖縄に通ってすこしは勉強した。国全体の利益になるとされたら、お金で地域を分断し人を依存的にして抜け出せなくする。基地がないと生きられない人が生まれ、それを裏付ける制度と、儲ける人と、周囲の無関心がそろって「問題」なのかどうかも見えなくなる。

他に選択肢があまりなくて長期的な犠牲より利益が少しでも上回れば、民主国家が「反」民主的な手続きを合法的に進め始める。事件・事故というイベントによって「問題」が顔を出す。再稼働を阻止したい人たちは、安全を求める以上に、自分たちの声の届かない力が「再稼働」するのを止めたい気持ちもあるんじゃないかな。そして、問題は「日常」に変質させられて誰も止められなくなる。

心配していたとおり、長く書こうとするとまとまらなくなります。この仕事を始めて、様々なレベルの集団が、どうやったら個々の力を引き出して議論していい結果を出せるか、たまに考えます。法人の事業所間、スタッフ間という小さな社会から、障がいのある人も含めたもの、周辺の住人、町と。

弱者救済という偏った関係ではなく、民主的な議論をいかに広めていくことが福祉の目指すものだと思うことがあります。言葉は足りなくても「不正な手続き」には反対の立場にいないとなと考えています。