日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

春の旅「ゲーデル,エッシャー,バッハ」

じゃあ明日来ればいい。なんとか前向きに。でも今日と明日が休みだった。連休は終わる。

このまま帰って、連休はどこにも行かなかったことにしようか。「大阪まで寝袋を買いに来た」状態。人には言えない。淡島神社を見て、シラス丼を食べて和歌山行きの電車に乗る。

そもそも問題は、和歌山の地理がまったく分かってないこと。一つアテが外れると何も出来なくなる。加太の観光案内所で地図をもらう。加太のホームでは、人懐こい黒ネコがひざに乗ってきた。港町は猫だらけだった。

熊野古道」がいいと思った。一番人を集める海岸ぞいやイルカは、一人旅には合わない。そのためには、電車が紀州田辺まで行ってくれないと。帰りは新宮から乗る。県民に怒られるけど、和歌山の辺境から1日で帰れるのか。

和歌山市駅で乗り継ぎを待ちながら調べる。ルート検索しながら、田辺のバス会社に電話する。22時すぎに熊野古道の出発点に着き、翌17:30には新宮を出る。約20時間で60kmを徒歩メインで移動する。できるかな?どうせひどい状況になるだろう。でも楽しそうだ。
一日目の夜は熊野本宮の手前まで25km歩いた。二日目は数ある熊野古道の一区間で、一番の難所である「大雲取越(おおくもとりごえ)」を14km歩く。

一日目は、データ的には残念な結果だった。世界遺産はダテではなかった。「旧街道」は、新しい車道に沿ったり断ち切られる形で点々と続くものだと思っていた。四国の遍路道のように。同じ土の道を歩くのではなく、概念上の「ルート」に沿って歩くんだろう。地元「龍馬脱藩の道」のように。

栗栖川バス停から山に向けて歩くと、すぐに「深山」という感じで、谷底の国道に暗い山がのしかかってくる。古道が見当たらない。地図を見ると、左の真っ黒な山の中を道が走っている。夜、谷川を挟んで見上げると、ぞっとするような大きな山の中に道がある。「熊野古道まで400m」という看板の先は急な斜面が山へ立ち上がっている。現代の道とのつながりはない。

古道は歩けない。近づくこともできない。でもこの日の目的は「マットがなくて寝られそうにないので、夜明けまで歩く」だけだったので構わない。

ここまで大きな本を持ち歩いていた。電車で来たのは、いつも放り出してしまう本を電車でゆっくり読んでみたかったからだった。来る途中、時間をかけて読んでみて、やっと納得できた。自分の頭には限界だし、評価が高かろうが面白くないものは面白くない。

ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環

ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環

重いので、歩き出す前に捨ててきた。旅の目的がどんどん失われていく。「夜明けまで歩く(マットがないから)」これはこれでシンプルで美しい旅だと思った。

3時を過ぎると眠くてフラフラしてきた。低いガードレールを越えて谷に落ちそうだ。と思って車道の真ん中に出て行く。それは、もっと危ない。かすかに残った理性が「残念だが寝ろ」と言う。

使われていない林道脇にコケがびっしり生えていた。雨にぬれているけど大きなスギゴケは弾力があってマットみたいだ。ポンチョをしいて新品の寝袋に入る。一時間後に野犬2頭の襲撃にあって、石を投げて追い払う。2時間くらいは寝たのかな。

寒さをしのぐはずが、一番寒い時間帯に寝ている。本宮まで10kmは始発のバスに乗った。

シンプルな目的さえ無くなってしまった。なにもない25kmの移動は、目的のない「純粋」な旅とも言える。無心で坐禅を組むような。