日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

そろそろ七回忌

親父がテーブルに写真をならべていた。いよいよ危ない時か、遺影の写真を選んでいた時だったか。同時進行だった気もする。

「タカヤは、どれが一番『お兄ちゃんらしい』写真だと思う?」


左は、自信にあふれた学生時代の1枚。正確には忘れたけど、親父はこのタイプの写真を選んだ。ぼくは、自信にあふれて、弟の扱いがぞんざいな兄は、嫌いではないが年に1回顔を見れば十分だった。

右は亡くなる1ヶ月前のもの。元気のないほうを選ぶと、父は「そうか・・」と意外そうな顔をした。あわてて「こうなってからのほうがよく話すしなあ」などと付け加えた。

じっさい衰えてからの兄のほうが、ぼくにとっては魅力的だった。療養中は、玄関と風呂をバリアフリー化しただけの、役に立たない次男だった。自分の仕事は「こっちが良い」と念じつづけることだった。以前の兄に愛着のうすい自分には、その資格がある。
どんなに衰えても、まわりが「そのままでいい」と思っていれば、何も変わることはない。希望の見えない病気は、「病気」以上に多くを奪っていく。それは、まわりの態度ひとつでくい止められることも多いと思う。壊すこともかんたんにできる。

「病気かも知れないけど、死にかけてるかも知れないけど、自分には関係ない。これまで通り、扱いの面倒な、でも楽しいこともある兄のまま」

当時はノーマライゼーションとか知らなかったけど、そこに通じる感覚を、兄に教えてもらえた気がする。

兄のことは、いま自分が福祉の仕事をしているきっかけの1つだけど、↑みたいなキレイ事だけならとっくに辞めている。気持ち悪いことを書いてしまった。福祉の世界は、もっと面白いです。

大学を出て仕事もなく、コンビニのバイトでフリーターするのもカッコがつかない。大学の掲示板で福祉施設のアルバイトを見つけた。施設の面接に行く。はっきり覚えているのは、自転車をこぎながら、心のなかで「志望動機なんかろくにないけど、自分には売りがないから、兄貴を最大限利用させてもらうよ。許してくれ」と謝っていたこと。

「こっちが良い」「そのままでいい」と伝えたい。それは嘘じゃないけど、個人的なもの。

その態度でよかったのか、当の兄貴はなにもコメントしていない。業界では、確認の取れない相手に「〜ために」とか「〜本位」とか簡単に使ってしまう。

ぼくが選んだ写真は、「親父と違う写真」を選んだだけかも知れない。鈍い次男に気付かせるため、なにごとにセンセーショナルな言い回しをする親父です。そんな元気なころを基準にしたら、現在が悲惨すぎるだろうが。ならば今が一番良い、じっさい何が悪い?ぼくにとっては良い兄だよ。そんな子供っぽい反発心も少しはあった。

「こっちが良い」「そのままでいい」は、誰のためにかけた言葉だった?目の前でどんどん衰弱していく兄を受け止めるための、盾であり逃げ道だったかも知れない。ぼく自身が安定を保つために、かけた言葉でもあった。

この逆転が、この仕事の面白いところだと思っています。個人的で、一方通行で、自身のエゴに気づかないままで。それで悪いのかというと、そうでもない。

元気な写真を見ては、弱った子どもの苦しみに寄り添う、というか背負うのが親のやりかたかもしれない。ぼくは好きではない。それはしょうがない。立場が違うから。違うからもめたことは他にもあった。違うもの同士が、誰かのために言い争っている。当の本人は、意識朦朧とした病人だったり、障がいがあって聞いていなかったりして、答えてくれない。

けっきょく、みな自分のために主張しているだけなんだけど、悪い光景ではない。違うからしょうがないし、理解し合えないけど精一杯やっている。そのうち、ちがうから面白い、お互いさまだから笑ってモメるか、となれば楽しい福祉になるのに。人を理解しようとしない人が、なんで障がい者や老人だけ理解できると思ってるんだろうか(なんのことだよ)。

面接のときのように、当事者ぶって兄の介護について話せば、だまされる人もいるかも知れない。この文章も同じ。自分もだまされそうになるけど、兄貴に謝ったのは忘れない。経験はきっかけになるけど、