日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

巡礼

1965年に障害児施設「愛光園」は始まった。40年前というと、イメージは障がい者は「存在しない」時代です。よって支援する制度はない。福祉もない。景気が良くて皆が幸せそうな中で、重度障害の子供は学校を「免除」された。(参考:就学猶予と就学免除 - Wikipedia

どんなに重い障害をもっていても誰ととりかえることのできない、個性的な自己実現をしているものです。
人間として生まれて、その人なりの人間になっていくのです。その自己実現こそが創造であり生産であるのです。私たちの願いは重い障害をもった人達も、立派な生産者であることを認めあえる社会を創ろうということです。


ひかりのさとの会趣意書より

移転が決まり、5月に引っ越しを始め6月には取りこわすそうだ。法人としての愛光園は少し離れた知多の方で立派にやってる。大府の「発祥の地」がなくなる。愛知で障がい者に関わる仕事をしている者として一度は詣でておかないと。
知多の施設は実習などで少し様子を知っている。発祥の地も同じ雰囲気があった。あそこにしかない場の空気がある。床暖房の上を靴下かハダシで歩く。全裸で入浴介助(実習では職員さんが「サービス提供者として適切かどうか悩みつつ」でもパンツを脱ぐ葛藤を話してくれた)。昼食「何か手伝います」と言ってみたらビッシリ働かされた。見学なのに。厨房を覗くと、食事づくりはボラさんの協力によるものが大きい。いろんな力をうまいこと集める。

伝統の玄米ごはんは知多も同じだったけど、ここは理念がもう少し純粋な形で生きている気がする。気のせいか。住宅地の狭い路地に包まれて隠れているけど、駐車場からは町を見下ろせた。スタッフの表情はいつも柔らかい。利用者もそれぞれの表現で穏やかに笑っている。ふつうの施設なら説明はこれでいい。付け加えるなら、この町に住む人の心は穏やかだろう。町で育つ子供たちは、未来にそれをもっと広げるだろう。

借りっぱなしだった後援会「ひかりのさとの会」の冊子を読み直す。

目に見える形での生産効力をいわれると一番腹が立ち、それは何十年と彼らの側にいながら、彼らの価値をきちんと位置づけするところまで持っていけない自分の無力さであり・・(略)


しかしまた・・(略)若い学生たちが、彼らの内面のことばを聴きとれるようになったり、コミュニケーション不足の時代にあって、真のコミュニケーションを体験、習得していく姿に接すると、私の心は昂揚し、「社会の核となる存在」と言い続けていたことの確認ともなる。


3人しかいなかった開園時からの職員・廣瀬さんの記事より。