日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

ご迷惑おかけしました1

スタートまで

実家の高知県からヒッチハイクして戻った。元旦の昼に出発して大阪で泊まり翌日の夕方に名古屋に着く。名駅のイルミネーションを見て「ここがゴールでいいや」ということにした。都会から、田舎のある場所を目指すのはすごく手間がかかる気がする。

淡々と書く。実際も、意外なほど淡々と物事が過ぎていた。

最初が肝心。乗れないとくじけそう。駅前がいいのか、郊外まで出たほうがいいのか。午前11時すぎに家を出てウロウロ歩く。駅を目指していた。約1キロ歩いたところのコンビニで、マジックと大学ノートを買う。昨日の大みそかの朝に家族で隣のスターバックスに来た。まだご近所だ。

最初が肝心。この通りの先には高知インターがある。車どおりはほどほど、見通しはいい。ここで始められなければ、どこへ行っても始められない。歯医者の駐車場で10分、車止めの石に座ったり立ったり。今日は元旦。不審な行動をとっても止める人がいない。ノートに「高知IC」と書いて、さらに10分。少しづつ進展はしてる。車道の端に立ってみる。縁石に座ってみる。いま思えば「ヒッチハイクでもしないと、逆に不自然な」状況に自分を追い込んでいた。
ノートを掲げると楽になった。次の日もはじめはウロウロしていた。

土佐の男

小さな軽が止まってくれた。軽は小さいものだけど最近のはしっかり作られてる。古いタイプのペラペラな感じのが止まった。幸運にも中には「土佐の男」が入っていた。うまく説明できないけど、黒くて優しくてアクが強い男たちだ。「なぜヒッチハイクを?」という質問に「バスのチケットが取れなかったから」と正直に答え、それだけでは足りないから「長い休みが取れたから」と答える。それでも足りてないけど、乗せてくれた9台の車の誰もそんなことを気にしなかった。

「今日はなるだけこの車を走らせんといかんがよ」日除けに挟まった無数の割りばしとボールペン。床に散らばる無線機やら様々な機器。高速で車を拾うと言うと南国SAまで送ってくれた。高速料金はいらないと言う。「とにかく車走らせないかんが」謎は謎のままだが、ヒッチハイクは最高のスタートを切らせてもらい、いまいち愛着の持てなかった故郷高知も好きになった。恐るべき土佐の男。

お接待文化

小さなSAの出口でノートを持って座る。20分してトラックが止まった。走る。若い兄さんは、正直に「本当は乗せたくなかったけど、寒そうにしてたから。」1時間くらい待ったと思ったらしく20分と聞いて後悔していた。

兄さんは讃岐の産だがお遍路文化は人を作る。「お接待」に徹して、その昔横浜で拾ったハイカーに博多まで送らされ、昼飯をおごらされたあげく2万円貸して戻ってこない。山中で女の子を拾ったら、森から男三人出てきて500キロ乗せることに。「下心があった分断れない」そしてまた面白くもないメガネの男を拾う。

スーパーの加工食品なんかを運ぶトラックだそうだ。業務用トラックは100万キロ走るそうだ。兄さんのメーターは130万キロだった。「ルートが平坦な道が多いから壊れにくいんだ。山道上ったり雪降る地方ならこんなに走らない」「勝手に90キロのリミッタ─がかかるから便利だ」

四国はやっぱりお遍路の国だ。何かを得るためにやってくる旅人が、その土地の人に何か与えることも知っている。そういえば、おととしの夏に拾ったアメリカ人と半日遊んだことがある。ヒッチハイク初心者の僕が迷惑と知りつつ引け目なくやれるのは彼のおかげだと気づいた。

持ちつ持たれつ、だけど与えたものを返してもらうのではない。暇だから車で出かけた、無駄な時間。あと三人分座席が余ってる。無駄にエアコンも効いている。彼のおかげで価値あるものになった。退屈な通勤時間、全てが終わった旅行の帰り道、マンネリカップルの暇つぶしにささやかな意味ができる。その人を助けるつもりが少し助けられてもいる。