日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

山田優さん

(職場広報のコラムに書いたもの。いちおう出したけどボツなってるかも)

昨年の11月に山田優さんのセミナーを聞いてきました。知多の障がい者施設で早くから地域移行を進めてこられ、今は長野県の田中康夫知事(当時)に誘われて県の大規模施設の地域移行を指揮しておられます。活字で読む、省庁の役人を前に歯に衣きせぬタフな印象とはちがって、垂れぎみの柔らかい目、聞くだけで安心してしまう声、ヒゲ、白髪、パーマ、体型、すべてが名前の「優」の字を人にしたような温かい人物でした。
この他にも、浅はかな予想が何度も外れました。会場は中村区の「べにしだの家」という入所施設です。遅刻しかけたのは「常習犯」の僕にとっては大方の予想通りですが、山田さんと親交の深い理事長が作った施設がどうしても見つかりません。地図を手に残り100メートルという通りには、レンタル店、コンビニ、モスバーガーと店が並び、人々が行き交います。「こんな所に入所施設が?」とまどいながら地図の場所に着くと、確かにありました。広い区画が塀に囲まれていて中はよく分かりません。入り口を探して一周すると、そこは新興宗教の寺でした。通りすぎた4階建ての立派なマンション(に見えた建物)が施設でした。利用者に自信を持ってもらうため、地域に違和感なく溶けこむためにそうした。作られて13年も経ちます。

「アリの目と鳥の目」皆さんご記憶でしょうか。よき支援者は両方持つべし。われらが理事長の口ぐせです。「何人くらい地域へ出られそうか」山田さんは着任早々に調べさせます。家族へのアンケートと担任の判断で数字が出てきますが、山田さんは怒ります。「一人ひとりの生き様を決めるのに、なぜ本人から聞かない?」

2時間のうち半分以上は質疑応答です。ぼんやりして聞き逃した部分を聞きました。「意思表示の難しい方からどうやって聞いたのか?」最重度と呼ばれる方々のうち100名以上が2週間ずつグループホームで生活体験をしました。「支援に携わる者なら、どう感じているか何となく分かるんです」知り合いの車いすを押して素人っぽいことを聞く私は、最後まで部外者だと思われていました。

職員が変わっていきます。希望があっても受け皿が追いつかない。入所期間が長い、また高齢な方が優先ですが、自分の担任利用者が「いかにこのホームにふさわしいか」を会議で発表し合い決めていく。落選した利用者は悔しさを涙ながらに訴え、担任も泣きながら謝っている。山田さんが「そこまでせんでも」と笑う修羅場になるそうです。本人に寄り添うアリたちの話。

自立支援協議会というものができました。先輩ワーカーが「こういうのも知っておけ」と繰り返しますが不勉強です。地域や障害の区別なく協力しあう広いネットワークというのでしょうか。長久手から来た、その関係の女性が「連携づくりが進まない。人も足りない」と悩みを訴えます。愛知県のアドバイザーでもある山田さんは「愛知の支援システムは惨憺たるもの」と同情していました。地域移行にも段階があり、まず「支援しやすい近所」へ出て「本人に合う所、望む所」へ移っていく。長野では県単位で移動するそうです。事業所単位では難しい。だから広域のネットワークが必要になる。制度や政治の世界に入っていく。本人を見つめているうち、自然に鳥の目になっていく。

頂いた資料の抜粋です。おそらく職員へ向けた行動理念だと思います。

『地域生活への移行の動機付け』

  • 支援者の行動には必然的な動機付けがある
  • 地域移行への動機付けは本人のニーズ
  • ノーマライゼーションの思想は大地
  • 種は利用者、芽は本人のニーズ
  • 肥しは環境を整える施策
  • 育つ力は自己決定
  • 支えるのは家族と地域社会、そして支援システム
  • 実りは、利用者が感じる自己責任の重さと、支援者の気づき。双方のエンパワメント

失敗ばかりで名ばかりの「支援員」です。支援者として「種」のままで新年を迎えました。今年の冬の厳しい寒さの中にあって、私自身も「良い支援者になんかなれるだろうか」と先が見えなくなる時があります。やがて豊かな実りが得られることを信じて、利用者さんと共に成長していきたいと思います。今年もよろしくお願いします。

(さいごの段落は「つなぎが強引だ。うまく言おうとして、うまく言えてない」とつっこんでもらう所だったが反応がなかった。分かりにくいのと誰も読んでないのと)