日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

最新のデジタル一眼 VS '74年製レンズ

Nikon D40 VS Nikkor 28mm F2.8

確かめながら進むこと。フィードバックが大切だ。大学でも習った。
20年間、母の粛清を逃れて押入れに埋まっていたニコンのレンズが、現役に復帰できそうだ。
「レトロな良さ」は拒否している。台所でパックの干しエビが土に還っていたように、全体として古びて衰えるものもある。でも、良い道具は、一部分が改良されて新型に取って代わられても良さを残している。
道具は、その時代の技術では生かしきれなかった機能や「人に使われるものとしての良さ」を残したまま捨てられる。何十年後に、新しい技術がそれをカバーすればいい。付属のズームレンズよりずっと楽しい。自動でジージー動かれるより自由だ。でも僕はカメラファンでもない。ラクでなければ使わない。
中古でニコンD40というカメラを買った。初心者向けで、一昔前のレンズでオートフォーカスが効かないとか、古くからのニコンファンには評判が悪いようだ。親父が若いころ使っていた30年以上前のニコンレンズでデジタル撮影する目的のため、安くて電池が持てばそれでよかった。
電源を入れて、ピントを合わせて、シャッターを切る。2.5インチ大型画面で確認して「真っ黒か真っ白」な部分があれば、親指のダイヤルで露出時間を適当にいじる。繰り返す。場所を変えても3、4枚取れば合ってくる。不要な2、3枚は「ゴミ箱ボタン」を2度づつ押して掃除する。
露出計なしの完全な手動撮影だけど、操作するパーツは左手のフォーカスリングと、右人差し指のシャッター、右親指の露出時間ダイヤルだけだ。(絞り開放以外で撮ったことない。素人)それで最新のチップで600万画素のデジタル撮影ができる。

3、4枚で合うと書いたけど「合ってないほうが良く見える」ことが多かった。素人なので「こう写れば良い写真」という基準がない。撮りたいものを決める。ファインダーをのぞいて画面に収める。撮りたいものにピントを合わせる。時間はかかるが納得のいくまで選ぶ自由がある。

じゃあ光の量は?大昔はカンと経験で、最近は機械の都合で決まる。実際はプリント屋の好みで決まることが多い。撮影直後のプレビューを見て時間を調節する。ボタンをカチカチ押すでなくダイヤルでなめらかに動かす。

中途半端なマニュアルは難しいけど、より「手動」に近づくほどかえって初心者にやさしい気がする。手動というのは、自分がなにをしているかという操作感があって、どういう結果が起きるのか見えている。フィードバックが豊富にある。

中途半端なマニュアル。露出計は「合ってるか合ってないか」しか分からない。どの部分に合っているのか、全体はどういう印象になるのか。それは経験とカンだった。デジタル化されて即座にプレビューが見られるようになった。これでやっと、撮影のためのパラメータを本来の「手動」で調節できるようになった。

9点で露出なんとか、手ブレ補正、自動レンズクリーニングなどなど。必要な人はいるだろうけど、「撮りたいものを撮る」という基本的な使いやすさは別にある。使いやすさを求めて30年間回り道をしてきたように見える。古いレンズを使うしかない貧乏人の強がりだけど。

これはニコンのデジカメに限らないのかもしれないけど、ボタンの位置やちょっとした動きがすばらしく良く出来てる。一昔前のデジカメとぜんぜん違う。エントリーモデルでボタン数が少ないこともあって、必要な場所にしか操作パーツがない。ほとんど指を移動しなくていい。
バッテリーコントロールがすばらしい。電源ONでも液晶とファインダー内の表示はほぼ常に消えている。シャッター半押しで立ち上がる。不評のAFモーターも削ったことで駆動部品がさらに減った。無駄に電気使ってない安心感は特にデジタルだと大きい。
上位機種に劣る0.8倍のファインダーもメガネの分距離が開くのでちょうど納まる。

どんな立派な写真が撮れたのかまず見せろ、と言われそうだけど、トイレとか朝食の卵ごはんしかないので次回に。

絞りについても考えたい。シャッター切るまで開放のまま固定されるのはキャンセルできないのかな。実家に絞りが自由に動けるようにする謎のリングがあった。絞りも理想の「手動」に近づけたらどうなるか。それよりまず写真を撮れ。