日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

くさや性格検査法(汚いです)

例のくさやを友人の家に持っていった。友人は袋の中身が見える前からニガ笑いだ。わが家の冷蔵庫のすべての食材、目薬、アイスノンを驚異の浸透力で同化してなおパワーが衰えない。仲間と同じ感覚を共有するのはたのしい。相手もそう思っていたかは別にして。友人は部屋にニオイが付かないか心配していた。

ぼくはナムプラーとか亀とか、良い意味の『磯の香り』が振り切れたところにあるニオイだと思っていた。金を出しているせいかどうしても好意的な解釈になるようだ。薄めれば悪くないんじゃないか。しかし、友人は断言した。「ウ○コか、歯くそのニオイだ」

そのウ○コに染まった部屋で暮らしている身としては、けっこうショックなことで「そうでもないよ」と言いたかった。それで一度鼻を近づけて確かめると、ウ○コになっていた。ウ○コにしか思えなかった。いつのウ○コかといえば便秘中の「乾いた感じの」ニオイだと思う。

履きつづけた靴下から納豆のにおいがすることもあるし、異なる発生源でもニオイが似ていることがある。ニオイを出している微生物が同じだからだろう。人によって、ニオイの受け取り方が違うのは面白い。ロールシャッハテストとまでは行かなくても性格は分かりそうだ。

でも、何でウ○コなんだ。最初の人は、たとえウ○コでも食わなければならない事情があったんだろうか。魚にしても、消化されてウ○コなら何らか「やり遂げた感」、つまり他の生き物が生きるのに貢献して成仏できそうだけど「新鮮なままウ○コとなる」不条理がある。

TVなどで知られるまでは、普通の干物のつもりでお買い上げの客から猛烈な抗議の電話がしょっちゅう来たそうだ。「いくら説明しても解ってもらえず(くさやの話−くさやのやまよ)」理解できても納得できない深い断絶がそこにあったんだろうなあ。たぶん「ウ○コを焼いたようなニオイですが大丈夫です」とも説明できず、あいまいに表現するからますます怒りを買うんだろう。

食べてみると、はじめて納豆を食べた時よりも抵抗はない。子供の好みは激しいけど、年とともに鈍くなるのを感じる。ニオイよりも塩辛くて量を食べられなかった。今度は日本酒を用意しとこう。それよりも食べた後の「指のニオイ」が問題で、どんなに違うと言い聞かせても「トイレ後」の、むしろ少し「身が付いてる」系の、ニオイが取れない。

ウ○コは食えないけど「歯くそは口に入ってるから食べても大丈夫ってことやな」といって、試食に付き合ってくれた友人は優しい。

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