日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

四国北街道を歩く

なぜ歩く

夜行バスの直行便が取れず愛媛県川之江からの便にした。1日空いていたので、歩くことにする。

時間の関係で大豊までは電車に乗った。大豊、川之江をつなぐ県道5号線は、千年の歴史を持つ「土佐北街道」を受け継ぐ由緒ある道だ。現在は「真上か真下」を高知自動車道が通る(トンネルと高架橋が多く平地を通らないことで有名)。大豊インター付近の標識によると川之江まで48キロある。

■地図とルート『土佐北街道(大豊〜川之江) 2006/11/2』by ALPSLAB route

帰ってから4人にこの小さな旅のことを話した。3人は喜んでくれたが、皆家族か家族のようなもので、一般人1名は冷たい反応だった。君の個性は尊重するが理解はしないよ、という表情だった。今後は黙っていよう。

歩くといろいろなものが見える。疲労や体の痛みという体の変化とともに、心の変化もふだんより激しい。喜怒哀楽に加えて、不安と恐怖、期待と裏切り、神だのみ。静かな道をゆっくり歩き、いろいろな変化を眺めている。一般人は「それはあなたがM傾向だから」と理解しそうだから言わなかった。鋭すぎる指摘だから。
立川川の渓流がきれいだとか、新宮ダム湖に沈む夕日が不安を掻き立てて一層美しいとか、笹ヶ峰の峠で香川県からの一行に「お接待」を受けたことは、嬉しいけど旅の目的じゃない。本当は毎日の生活の中で自分を冷静に見る余裕が欲しいけれど、なかなか難しいし、しんどい作業でもある。

事前の調べで、県道5号は歩くのに楽しそうな道だと知っていた。廃れていて車も少なく、険しい峠をこえて谷の山里に下りる旧街道のおもむきを残す。天気が良ければ最高、そして予報では晴れ晴れ続き。最後はボロボロになることは分かっているので、ご褒美が多い道のりでなければ、ぼくの精神力は持たない。

ぼくは性的にM傾向なのではなく「全面的に」M傾向なんだと思う。Mな世界観。意味不明?「性的」は含まない、と思う。同じMでもこっちのほうが深い、はず。一般人は分かってくれるだろうか。3人は先刻承知なの?

メモ

結論が先に出てしまったようで先が続かない。メモ程度に追加していきます。

6:30 大豊町大杉駅からスタート。インター下の県道5号は、住宅地の軒先を走る狭い道だった。ランドセルの女の子に「お早うございます」と声をかけられる。さすが山の子。
7:00 「川之江 48km」標識、予想より10キロ長い。残り時間は13時間、2つの峠、体力なし、「無理だ」と直感する。ヒザに弱みがあり、無理すると痛む。関節にきたらリタイヤだ。バスか、ヒッチハイクか、日没までに結論を出そう。
8:30 道路わきの祠(ほこら)で朝食。ここまで48kmの焦りで休めず。高知駅で買った「焼きサバずし」は本当にうまい。地図上の自分の位置がわりと正確だったことが分かり元気出る。
9:00 「笹ヶ峰まで12km」の標識。地図上では笹ヶ峰の峠は半分も行かない。無理だけど、元気のある午前中に峠を下りたい。ヒザを守る歩き方を探しつつ進む。
9:30 参勤交代の宿として使われた「立川番所へ150メートル」という看板。寄らず。一日一本のバスが来る午後3時ごろの体調で乗るかどうか決めよう。「川之江 37km」残り10時間、マラソンの距離を切るとイメージが作りやすい。スタートからの霧と雲が晴れはじめる。
10:30 自動車道笹ヶ峰トンネルで登りが始まる。高速を走る車の音もなく静か。目を閉じて白線のペンキをたどって歩く。コンクリート壁のパイプから流れる水を飲む。たぶん大丈夫。その水で実家から持ってきた柿を洗ってかじる。誰かが「皮むかずに食べる」と言っていた気がする。この方がおいしい。自然薯、ごぼう、にんじん、りんご、ぶどう、わざわざ面倒なことをして味も悪くする「常識」を何とかしたい。たまねぎとみかんは強制しないから(試したけど、あれは訓練が必要)。
11:30 材木の伐採場を通る。
12:00 笹ヶ峰トンネル(峠)。広場にゴザをしいて食事中の一団に声をかけられる。香川・観音寺からピクニックに来た仲良し中年男女から接待を受ける。感動屋のおじさんが「4時間で大豊から峠まで来た」と誇大な解釈をしてくれ、「時速6キロで1000メートルの峠を登る健脚」として絶賛される。計算間違いだが、本人もその気になって、後でスケジュールを狂わせることになる。
観音寺名物「エビちくわ」は赤いちくわ。ゆで卵は一つ食べると断るまで次が渡される。観音寺で浦島太郎は玉手箱を開け、沖合いに桃太郎の鬼が島がある。桃は長良川を流れていたんだ、と昔話つながりで盛り上がる。犬山に「桃太郎神社」っていうのがあるんですよ。谷に向けて大声を出し、猿を呼ぶおじさん。野鳥の声で種類を当てる遊び。優雅な人たちだ。「香川人は助け合いの心がある」と言っていた。そりゃ生きるために溜池の水を分け合うんだからな。(ならよそ者の僕は排除、のはず?)
12:30 よく反響するトンネル内で、聞こえないと思って「ありがとうございました!」と叫んだら返事のようなものが聞こえた。最後まで歩こうと思う。ひたすら下り。早い紅葉の葉っぱを拾う。なぜか石を拾ってバッグに入れる。
14:00 峠を下り、「ブナの湧水」という池に足を浸し、大休憩をとる。
14:30 一度横になると起き上がれない。股間に激痛。内股の筋肉が痛む。変な歩き方してたんだろう。残りの正確な距離は分からないが、地図上では3分の2を歩いた。残り5時間で20キロ弱はギリギリだが気力はある。
15:30 新宮村は山あいの歴史ある町。「熊野神社」へこの旅唯一の寄り道をする。「新」宮の由来となった1200年の歴史あるもので、この街道の「要」となる場所だ。ある場所に「呼ばれる」ということはありえるんだと思う。
16:30 最後の峠を登る。気力のみで歩く。今のぼくが歩ける距離は30kmまでらしい。植村直巳さんは徒歩日本縦断のとき平均50km歩いた。休むと痛みがひどくなる。距離の表示はまだ無く、地図の曲がりくねった道から距離を測る。長くて15km、短くて10km、微妙だ。国道192に出ればバスかタクシーを呼べる。なかなか進まないことに焦るが、疲れるほど時間が経つのが遅いことも知っている。道路わきの枝を折り杖にする。
17:00 最後の峠「法皇トンネル」にたどり着く。そして日没。アスファルトに寝そべり、足を上げてガードレールに乗せる。立ち上がると足が前に出ず、トンネル1キロを抜けるのに1時間弱かかる。
18:30 「川之江市 7km」37kmの後はじめての表示。これなら大丈夫だ。ループ高架を避けコンクリート壁をずり降りる。
19:00 スーパーに寄る。どうすれば明日までに体力を回復できるか。栄養ドリンクと牛乳500mlと栗ごはんを買う。住宅地では地図どおりのルートを取れない。焦りながら土手を登り、畑を突っ切る。
20:00 ゴール。たかが50kmだけど、月に照らされたあの山並みを越えてきた。昔の旅人の距離感が分かる。ヒザは最後まで痛まなかった。あとは体力の問題だから、鍛えればもっと先に行けるはず。